東京電力福島第一原発事故の収束に向けた工程表の「ステップ2」終了期限が近づき、原子力委員会専門部会は今後の方向をまとめつつある。今後の工程には、1979年に起きた米国スリーマイル島原発事故が参考になる。その際の地域社会との関わり合いを中心に述べてみたい。
スリーマイル島原発事故で2号炉は圧力容器の損傷を免れた。事故から14年半後に、中から溶けた燃料の取り出しが行われ、アイダホの国立研究所に搬出された。空になった圧力容器や建屋は以前のままで、現在運転をしている1号機と将来一緒に解体した方が経済的との理由で残されている。
廃炉活動の主体は電力会社であり、原子力規制局は発電所に常駐して監査をするとともに、市民や議員と諮問委員会を頻繁に開いて十分な意見交換をした。エネルギー省は原子炉からの溶融燃料の取り出しや処分などの研究開発を、電力会社支援のためではなく、国益のため-との趣旨で進めた。同省は州との連携を緊密にとり円滑に全体計画を進め、発電所を長期的な廃棄物貯蔵施設にしないとする重要な役割を無事果たした。
当初、電力会社は、3億ドルの損害保険金の中の約2億ドルで原子炉建屋の除染をした。しかし、溶融燃料を取り出すまでの廃炉工事には、少なくともさらに6億ドルが必要と予想され、放置すれば会社は破産する、と考えられた。資金確保のさまざまな案が提案されたが、議論は行き詰まった。解決に動いたのが、ペンシルバニア州のソーンバーグ知事だ。電力会社、産業界、国、保険会社に州が加わって、計画全体で総額約10億ドルの予算計画をまとめた。
溶融燃料の輸送はペンシルバニア州からアイダホ州までの10州にまたがる2400マイルの道程で、ピッツバーグ、インディアナポリス、セントルイス、カンザスシティの大都市を経由する計画だった。実際には1986年7月から始まった。最初の輸送時にネブラスカ州知事は「通過時刻の通知を受けていない」との理由で、隣の州を通過中の列車が同州内に入ることを認めなかった。このため列車は4時間、州境に停車を余儀なくされた。その際、州職員との緊密な連絡の必要性が強く認識された。
その後の搬送が成功した主な理由は、州職員とエネルギー省が良好な関係を維持したことによる。十分な情報の基に、知事や州職員は的確に状況を把握し、住民の懸念に答えることができた。カンザス州で24時間前に他の貨物列車が脱線し、橋梁[きょうりょう]が損傷した時には、大幅な運行変更が予想された。円滑な連絡で、脱線車両の除去や鉄道管理局による安全確認が行われ、列車が橋を通過する数分前に全ての問題が解決された。
福島第一原発は、格納容器や圧力容器に穴が開いており、スリーマイル島より格段に高度な技術が必要だ。想定される住民のリスクもその分高い。リスク回避と住民懸念の払拭[ふっしょく]には、国と同レベルで技術や作業の安全性を確認できる専門家が県に必須となる。
(会津大学長 角山茂章) |
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